フォーラムにご来場いただき、ありがとうございました

パネルディスカッションの様子。右から大江忍(司会/伝統木造技術文化遺産準備会事務局)、後藤治(工学院大学建築学部建築デザイン学科教授)、中村昌生(伝統木造技術文化遺産準備会代表)、原田進(左官)、川口正樹(左官)、挾土秀平(左官)=敬称略=。

4月25日(土)、名古屋工業大学で開かれたフォーラム「無形文化遺産をめざす、伝統構法と左官技術–意義と課題–」には、多くの方にお集まりいただき、誠にありがとうございました。
立場の異なる登壇者の話が、ある部分では呼応し、ある部分では深められていき、伝統構法と左官の意義や課題がだんだん明らかになるような意義深い内容となったと思います。

中村昌生さんは、茶室の名席や桂離宮を題材に、茶匠や主人の意図や創意工夫を実現させるべく、大工と左官は呼応しあって、高度な技術を駆使してきたと語り、日本建築の特徴である「呼吸する家」は人類にとっても大事な建築技術であると、文化遺産となるべき意義を説きました。
後藤治さんはまず、歴史的建造物の評価や修復の考え方を解説。文化財修理の現場でも、瓦は取り替えられ、壁が塗り替えられるのが通常でオリジナルは残らない、左官で保存対象となっているのは待庵や桂離宮の壁、近代の洋風建築の天井飾りくらいである、今後は、近世末から近代にかけて地域で発達した流派的な技術も評価していかないといけないと指摘。また、「職人力」は「防災力」「まちづくり力」「環境力」「教育力」「伝統力」であるとして、これからの時代こそ、職人力が大事なのだと訴えました。

一方、左官の挾土秀平さんは、アリゾナ、パリ、ニューヨークなどの海外経験を元に、日本の左官は平らに塗ることはもちろん、手の感覚だけで曲面や三次元をうまくおさめること、チリぎわや細かな部分への神経の使い方や正確さに驚かれるが、もっとも共感されるのは、水や土、自然に対する気持ち、考え方や思考なのではと、実感を込めて語りました。
さらに左官の原田進さんは、自分がふだん行っている材料のつくりかたを紹介。山から採ってきた土や砂をふるったり、コメを育てるところから始めて藁スサを得る、そして、お客さんが求める壁に合わせて、それらの細かさや配合を決めるのだといいます。「部屋の中の壁を塗るときは、間の空気をつくる、外壁を塗るときは町の空気をつくる」のが自分たちの仕事だといい、「その場に合わせる壁がつくれること」や「心意気」が大切と結びました。

大江忍さんは、建築基準法と伝統構法の関係を説明、さらに「2020年の改正省エネ法で、真壁づくりの伝統構法の家づくりは息の根を止められようとしている」と危機感を訴えました。これからユネスコ文化遺産登録に向けて、伝統構法の定義を作成し、賛同者を増やし、署名を集めるなど活動をすすめていく。ただ、自分の考えとしては、登録することが目的ではなく、登録がスタートラインだと思っていると述べました。

シンポジウムには、地元愛知の左官、川口正樹さんも加わりました。
以下、要旨を列記します。


大江「無形文化遺産というのは、目に見えない部分だということ。世界遺産というと建築物に対してだが、私たちはいろんな技術や道具をつくる人たちまで含めた総体を無形文化遺産にしたい」


中村「じつは当初は大工の技術を世界文化遺産に、という言い方をしていた。大工棟梁は、屋根、表具など、職人全部を統括する役割を持つからである。しかし大江さんと話していて、『伝統構法』がよいだろうということになった」


後藤「ヨーロッパは石の文化というが、英仏独は木を伐りすぎて木の文化が途絶えた。日本でも浪費的な部分はあったが、技術を進歩させて極小の部材でも建築がつくれるようになってきた。それが地震への弱さにもなってしまったが、木の家づくりが残っているということ自体、世界に対して胸を張れることだと思う」


原田「よくこの土壁は何年もちますか?と聞かれるが、何年もたせたいですか、と聞く。50年なのか30年なのか10年なのか、どれでもいい。10年しかもたない土を塗りました。雨風に打たれてぼろぼろになりました。そしたら塗り替えればいい。手で塗ればいい。産廃は出ない。メンテフリーというのはない。たくさん土を使っていると、首から下が喜ぶ。それは確信がある。そのへんに気付いてもらえると、土を塗ることに意義があるとわかってもらえるでしょう」


川口「現場で出た土を使えればいちばんいい。でも、地域性もあって、愛知県では業者から荒壁用の土、粉土を買っている。現状では土を扱うところが減っていて心配になる。ここに設計士さんもたくさん見えていると思うが、図面に『土壁』と書いてくれれば増える」


挾土「土はなんぼでもあると思っている。今後もあると思う。藁はちょっと難しいが。鏝も、昔よりも素晴らしい鏝ができている。いちばんの問題は、地方に行くほど、サイディングの家になっていて、若い子が土を塗る場所がないこと。大工さんも消えている。たいへん危機的な状況にある」


後藤「地方で家をハウジングメーカーで建ててしまうと、じつは貿易赤字みたいなことになる。でもぼくは楽観主義者なので、つい10年くらい前までは服がブーム、いまは有機食材がブーム、次は住じゃないか」


大江「私自身、30年、愛知県の材木と土を使う家づくりをしてきた。たまたま私のところにはいい職人さんが順番に着てくれているが、この先10年は本当に心配」


中村「静岡に大工の実学教育をやる学校があって、今年で29年になる。この10年くらい希望者が減ってきたが、20人くらいは入ってくる。全国的に見たら少数かもしれないが、いることはいる。だからこの運動をやらなくてはならないという気になってきた」


大江「大きな御旗を立てることで、担い手が増えていって継承していけるといい。無形文化遺産がみなさんの勲章になるように、運動をすすめていく」

フォーラムの後には懇親会を開催。全国から駆けつけた左官職人の紹介もあり、
和やかなうちに無事、お開きとなりました。
それぞれが、伝統構法と左官技術の意義を確認した会となりました。
「かたちとして見えない部分」が大事なのだということも共通の思いだったと思います。
さて、それではそれをどう継承していくか、今後の課題です。

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