山形でのシンポジウムと見学会、盛況でした

7月15日、東北芸術工科大学で「連続シンポジウム・山形編
職人がいる町、塗り壁のある暮らし——その終焉がもたらすもの」
が開かれました。
多数のご参加をいただきまして、まことにありがとうございました。

シンポジウムに先立って、地元山形の左官を中心とした塗り壁の実演や展示が行われ、
見学者が体験する一幕もあって、注目を集めました。

塗り壁や、東北ならではのヨシによる木舞掻きを実演。

プロローグは、議長である左官の挾土秀平さんによる
「俺たち左官の70年—戦後、左官が歩んだ道」。
高度経済成長期、左官はそれまでの木造中心の仕事に加えて、
当時、続々と建設された鉄筋コンクリートや鉄骨のビルも手がけることになりました。
セメントやドロマイトプラスターなどを使って、
壁や天井の大面積を、左官が手で塗って平らに美しく、整えていたのです。
その後、乾式工法が隆盛になり、左官の現場は少なくなったのでした。

次いで、宮城の今野等さん、地元山形の大類勝浩さん、原田正志さん、
岡山の浦上稔晃さん、宮城で蔵を修復中の小林隆男さんが、
自分が好きな左官の仕事と、自分が手がけた仕事を紹介。
素朴な土の住まいから、公園の遊具、アートのような壁まで、
左官のバラエティの豊かさが伝わりました。
さらに、竹内昌義さん(建築家・東北芸術工科大学教授)が、
環境に配慮した住宅などの自分の仕事や左官との接点を紹介しました。

最後は、愛知の左官、川口正樹さんも加わって、全員で公開討論会。

右から、挾土、大類、原田、浦上、小林、川口、竹内の各氏。撮影/渡辺征治

テーマは、「左官塗り壁はどのように存在していけるのか」。
冒頭で宇野勇治さん(建築家・愛知産業大学准教授)が指摘したように、
左官の数はこの30年で半分以下に減少、高齢化もすすんでいます。
それは何が問題なのか、どうすればよいのでしょうか。

進行役の挾土さんはまず、
「左官の本質は厚塗りだということを伝えたい」といい、
薄塗りばかりが多くなってしまった現状への意見を求めました。
次に挾土さんは、左官ならではの利点を
「(健康よりもむしろ)精神に響くことではないか」と指摘。
土を塗ったときの微細なムラが空気を柔らかくして、疲れた神経を癒やす、
そういう感想を聞く、と語りました。
大勢のチームワークによって大面積をひとつの面として仕上げられる点や、
表現の自由さなども、左官の可能性です。

左官の意義と利点を、職人ならではの実感を込めて表現する挾土さん。撮影/渡辺征治

ときには会場の声も取り入れつつ、議論は大いに盛り上がりました。
「職人として鍛錬を積んだからこそのムラと、技術のないムラは異なる」
「問題はすべてコスト重視から来ている」
「一般の人にも設計者にも、塗装と左官の区別がつかなくなっている」
「厚みと本物を求める左官と畳は似ている」などなど、です。

最後に挾土さんは、「まずは薄塗りの質を高くして、
そこから厚塗りをアピールしていくこと。工業製品にない地域性を認識し、
発信していくことが大事なのではないか」と締めくくりました。
参加者は、左官職人、設計者、他業種の職人、一般のかた、学生など約100名。
共感を呼んだり、考えさせられたり、また、問題提起として
それぞれの心に残るシンポジウムとなったのではないでしょうか。

会場は大学の講義室。登場者が多く、議論も盛り上がって、3時間はあっという間でした。

翌日は、「日本の壁をみる5 山形の蔵」として、個人邸の蔵と紅花資料館を見学。
この地に息づいている奥深い文化と、施主や職人の思いが感じられて、
またとない経験となりました。

紅花資料館。ちょうど紅花の咲く時期で、黄色い花があちこちに見られました。

後日、レポートをアップする予定です。どうぞお楽しみに。

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