座談会 俺たち左官の70年

座談会 俺たち左官の70年

■第1部 戦後から昭和30年代—まるごと左官で仕上げた時代

ドロマイトプラスターとモルタル薄塗り、リシン吹付け

挾土
プラスターってのも、俺たちの親父の時代はけっこう塗ってますよね。学校の階段のあげうらや、病院というとドロマイトプラスター使っていたという話も聞いた覚えあるけど、それはいつの時代ですか。
藤沢
同じくらいの時期か、もうちょっと前くらいです。きいせっかい(生石灰)をどんどん現場で水和(水を加えて沸化)して。昔は現場でふかしたんですよ。原石もってきて。それで「どべ」をつくって、おずさ(スサ)を入れ、砂を入れ、少ーしセメントいれて。ほいでどんどん中京病院からなにから全部仕上げた。躯体にじかに塗れる。少々塗り厚があってもこれは落ちない。ねばりけがあって塗りやすい、仕事は早いし。
挾土
「どべ」は俺も聞いたことがある。穴ほって、水ためて岩状の生石灰をどばどばっと入れてぼっこぼこに沸化させて、それにおずさを入れて、漉す。そこにコネ屋がおった。コネ屋が幅きかせだしたのはプラスターからだね。白できれいでいいし、よく使われた。
藤沢
塗るのが楽だしね。たまには、はじけましたよ、どべが完全に溶解せずに、忙しいと半溶解の状態のやつが混じっちゃう。そうすると塗ったあとで(生石灰がはじけて)花が咲く。大垣とか岐阜の山でも生石灰は取れとったんですよ。搬送してくるのに、俵に入れてくるでしょ、それが俵灰。運んでくる道中に雨でやられた。わやだわ、あんた。クルマのなかで生石灰が分裂(沸化)をはじめる、だからシート何枚でももっていってね。ほいで、現場のすみに保管するのにも、台風かなんかで雨が少しでもかかったりすると、小屋ごと火事になる。なんべん火事やったかわからん。そういうことが続いたのがやっぱり昭和33〜34年。(俵灰の)期間は短かった。危険だからね。左官屋が火事のおおもとみたいなもんだ。
小林
竹中が開発したんですか? どべというのは。
藤沢
これは建材屋さんから来ましたね。それから、伊勢湾台風のあとセメンが主体になっていく。セメントが必要になって、セメントがどんどん出てくるようになってね。
挾土
ドロマイトプラスターがセメントにとってかわられた。それで刷毛(はけ)引きをやるようになったんですか?
藤沢
そういうことやね。薄塗り工法をやり始めたのも、じつは我々亀井組やった。要するに、コンクリート打つでしょう、あまりきれいじゃないと上から吹付けもできないペンキも塗れない。これを仕上げたいんだけど、普通にモルタル塗る工期も予算もない。どうして材料少なくしてやったらいいかということで、我々が考えた。要するにメトローズのりを混合して、磨き砂に五厘目の硅砂(けいしゃ)、これにセメンを混ぜて練り合わせたものだと、うすーく楽にきれいに仕上がる。それで刷毛引きなり押さえなりやって、吹付け屋やペンキ屋やクロス屋に渡しとった。
挾土
そのときはべたーっとなめた(薄く塗った)んですね? 躯体なりに、なぜていた。昔の刷毛引きで壁面がぼっこぼこのはそれだったんやな。躯体なりになめて表面をなめらかにしとけばよかった。精度は求められなかった。
藤沢
いい仕事だけはやっぱり木鏝(きごて)あてて、モルタルで仕上げ、その上にさらに薄塗りをした。精度をあげる場合はやむをえず、モルタルで直しをして薄塗りをかけた。
挾土
セメントが出てきたころっていうのは、左官屋も増えていたということでしょ。
藤沢
だいぶね。塗りものが多いから、左官屋何人いても足らんばっかりで。我々なんか35、40、45人工で毎日働きよった。それくらい働かないと左官工事はこなせなかった。
挾土
とにかく鉄筋コンクリートの建築は全部左官やったんやね。外部も内部も階段室も全部塗った。
藤沢
そう、天井から蛇腹から土間にいたるまで、階段ももちろん、全部左官だったんですね。階段の「ささらげた」を塗る職人は左官でも「きんすじ」といわれよった。
川口
きんすじのことは、俺も聞いたことある。
挾土
その頃ですか、左官最大人口22万人になったのは。昭和35〜36年?
岩嶋
たぶん。学校なんかも中外全部塗りよったもんね。市営アパートの押入れの中まで、天井も壁も左官。あれ種類なんだったの。
大類
ドロマイトプラスターでしょうね。
藤沢
モルタル重いからね、左官もだんだんわがままになってね、ドロマイトプラスターを天井なんかしゃーっとこう(簡単に)行っちゃう。市営住宅なんかの天井なんかは、現在も残っていますよね。
岩嶋
ひとついいですか。ゼネコンから見ると、役所への見積もりに、吹付けのリシンは左官工事に入ってるんですよね。あれはなんで左官工事に入っておったのですかね。
藤沢
もともと左官屋が吹付けをやっていたんですよ、ポンプまわして。汚れていやだから、吹付け屋という商売が出てきたの。
挾土
外部のモルタル塗り、内部のプラスター、土間モルタル、それにブロック積み、吹付け、レンガ、防水、みんな左官工事だった。
藤沢
ようけ仕事があった。
岩嶋
いまでも吹付けだけが左官工事の項目になっているのね。
大類
(仕事としては)離しちゃったんだけども、当時はそれでよかったんだけど、今思えばほんとは吹付けは離したくなかった。いまは塗装屋さんの仕事になっちゃった。いま左官屋さんが吹付けもっていたら、ものすごく儲かる業種として存続していますよ。
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